大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成元年(あ)99号 決定 1991年10月09日

本籍

京都市伏見区桃山水野左近西町一〇番地の一

住居

同 右京区竜安寺玉津芝町一番地

会社役員

松井宏次

昭和一三年六月三〇日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、昭和六三年一一月三〇日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人環直彌外二名の上告趣意のうち、憲法三一条違反をいう点は、原審において主張判断を経ていない事項に関する違憲の主張であり、判例違反をいう点は、所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でなく、その余の点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 橋元四郎平 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巌 裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治)

平成元年(あ)第九九号

○ 上告趣意書

被告人 松井宏次

右の者に対する相続税法違反被告事件についての上告趣意は、左記のとおりである。

平成元年五月一〇日

右主任弁護人 環直彌

右弁護人 前堀克彦

右弁護人 三木善続

最高裁判所第一小法廷 御中

上告趣意第一点

原判決が肯認した第一審判決が適用した相続税法六八条一項は、その構成要件である「偽りその他不正の行為」が不明確であるから、憲法三一条に違反するものであり、また、右主張が認められないとしても、少なくとも、右構成要件を原判示のように解することは、憲法三一条に違反するので、原判決には憲法の違反がある。

その理由は、つぎのとおりである。

第一 右の「偽りその他不正の行為」の意義は、明確ではなく、学説、判例上も、争いのあるところである。最高裁判所は、昭和四二年一一月八日大法廷判決(刑集二一巻九号一一九七頁)(以下<1>判例という。)において、「旧物品税法(昭和三七年法律第四八号による改正前のもの)第一八条第一項第二号にいう「詐偽その他不正の行為」とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行なうことをいうものと解するのを相当とする。」旨判示し、一応「詐偽(偽り)その他不正の行為」の意義を明らかにしたが、それでもなお、ある具体的行為が、「税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作」にあたるかどうかは、かならずしも明確になったとはいえず、学説、判例上に大きな争いを残している。

そして、最高裁昭和五〇年九月一〇日大法廷判決(刑集二九巻八号四八九頁)(以下<2>判例という。)にいう、「ある刑罰法規があいまいで不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるかどうかによってこれを決定すべきである。」という観点から考えれば、相続税法六八条一項は、右構成要件の不明確性のゆえに、憲法三一条に違反するものといわなければならない。

第二 原審弁護人は、控訴趣意において、<1>第一審判決は、相続税法六八条一項の構成要件である「偽りその他不正の行為」についての被告人の認識につき、被告人が、「不正な行為により脱税することを認識していたものと認められる。」と認定しているが、右の「不正な行為」の内容としては、「正当な方法ではないこと」、「なんらかの不正な方法」、「不正な方法」と判示するのみで、その具体的内容は全く明らかではなく、そのため、本件犯罪の内容が明示されておらず、この点で理由を附さない違法があること、<2>被告人には、相続財産の隠匿の意思は全くなく、また、結果的には架空債務を計上した申告書が提出されたものの、その意思や認識はなく、ただ、偉い先生が税務当局と折衝してくれた結果、相続財産の評価が低くなったのではないかという漠然とした認識があったにすぎないのであり、そして、相続財産の不当な評価額の申告は、「偽りその他不正の行為」に該るものではないから、被告人に「偽りその他不正の行為」の認識があったとはいえないこと、<3>仮に右の主張が容れられないとしても、逋脱犯の違法性を示す中心的な構成要件である「偽りその他不正の行為」の認識は、確定的で、明確であることを要すると解せざるをえないから、右のような被告人の確定的でも、明確でもない認識では、「偽りその他不正の行為」の認識があったとはいえないことを主張し、「なんらかの不正の行為」の認識があれば足りる旨の第一審判決の判断を非難した。

ところが、原判決は、右<1>及び<3>については、格別明確な判断を示すことなく、ただ「被告人としては、大西が代行しようという本件相続税の申告は、決してまっとうなものでなく、具体的な手段方法まで知らなくとも、それが少なくとも相続税法上許されない何らかの不正な方法、つまり「偽りその他の不正の行為」(原判決がこれを括弧つきで判示しているのは、法文そのままを引用したのであろうが、正確には「偽りその他不正の行為」である。)によって(中略)相続税を免れようとするものであることを認識した(中略)ものと認めることができる。」と認定して、第一審の右判断を肯認した。右の「相続税法上許されない」が何を意味するのかは明らかではないが、少なくとも、前記判例<1>にいう「詐偽(偽り)その他不正の行為」の意味よりはるかに広い範囲の行為をいうものであると解される。しかも、これでは、それが具体的にどのようなものを指すのか全く不明である。

ところで、前記の<1>判例は、「偽りその他不正の行為」は、税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作であるとしている。その趣旨は、「偽りその他不正の行為」とは、「偽り」を基幹とし、これに類する納税倫理に反する強い反社会性、悪性を持った積極的行為、言い換えれば、相当手のこんだ脱税工作としての行為をいうものと解することができるのであって(木梨節夫・「旧物品税法(昭和三七年法律第四八号による改正前のもの)第一八条第一項第二号にいう「詐偽その他不正の行為」の意義」(最高裁判所判例解説刑事編昭和四二年度48・三一九頁)、沢登俊雄・「旧物品税法(昭和三七年法律四八号による改正前のもの)一八条一項二号にいう「詐欺その他不正の行為」の意義」(刑事判例評釈集第二九巻昭和四二年度三九・二五〇頁)参照)、いわゆる不正の行為をすべて構成要件としての「偽りその他不正の行為」としているものではない。

しかるに、原判決のような解釈をすると、「偽りその他不正の行為」の意味は、前記<1>判例の枠を超えた広般なものとなり、ますます不明確なものとなるのであり、たとえ相続税法六八条が違憲であるとはいえないにしても、前記判例<2>の趣旨にかんがみると、もはや憲法三一条に違反するといわざるをえない。したがって、原判決のような解釈をして適用すれば、違憲になることは明らかである。

それで、右第一、第二のいずれの理由によっても、原判決には憲法三一条に違反する違法があるといわなければならない。

上告趣意第二点

原判示の「偽りその他不正の行為」の前記のような解釈は、前記<1>判例と相反する判断であることは、上告趣意書第一点に記載したところにより明らかである。したがって、原判決は、最高裁判所の判例と相反する判断をしているといわなければならない。

上告趣意第三点

原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認ないしは法令の違反があって、原判決を破棄しなければ正義に反すると認められるから、刑訴法四一一条一号、三号によって原判決を破棄すべきである。

第一 原判決は、本件架空債務の計上を「偽りその他不正の行為」であると認定した第一審判決の事実認定を肯認しているが、本件架空債務の計上は、「偽りその他不正の行為」に該らないから、原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認ないし法令違反がある。

その理由は、つぎのとおりである。

本件架空債務の計上の方法は、被相続人である松井利一が、一一億三、二〇〇万円もの巨額の債務を負担しており、これをその配偶者マサを除く相続人らが継承したというだけの簡単で、単純なものであるうえ、右利一は、印刷用インキの製造販売業を目的とする従業員一〇〇名の堅実な会社として著名なマツイカガク株式会社の創業者であり、被告人も、右利一の後を継いで同会社の社長であったもので、また、ロータリアンであり、しかも、名誉職とはいえ、利一を継いで伏見納税協会の副会長の地位にあって、伏見地区における名士であったものであることや右債務の債権者が、同和団体であり、その経済的能力もはっきりしない「全国同和対策促進協議会京都府連合会本部」であることを考慮すれば、本件申告を受け付けた税務署員としては、これを一見しただけで、右利一が右のような債務を負っていたと信じる筈がなく、右債務が虚偽であることが判かったものと認められる。このような大胆不敵な方法を用いて脱税を図った大西勝則(以下大西という。)らの行為が良くないことはもちろんではあるが、前記のように、一見して虚偽の内容の申告書であることが分かりながら、これを直ちに受け付け、納税者である被告人に尋ねるなどの措置をとらなかった税務署員の行為はもっと不当であり、そして、税務署員が、大西らの右の行為によって騙されたとか、税の賦課徴収が不能もしくは著しく困難にさせられたとかいうことでは決してない。(しかもその上、被告人が、架空債務の計上の事実を知らなかったことが分った後に、被告人を告発し、同人に重加算税を課すという税務当局の措置は、国家機関として果たしてなすべきことであろうか。)以上述べたところを総合すると、右架空債務の計上は、前記<1>判例にいう「税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような」「偽計その他の工作」には該らないものといわなければならないのであって、これを「偽りその他不正の行為」に該るとすることは誤りである。

第二 原判決は、本件における「偽りその他不正の行為により」という構成要件についての被告人の犯意及び共犯者との共謀の存在を認定した第一審判決を肯認したが、被告人には、第一審判決の認定したような架空債務の計上の方法を用いたものであることの認識はもちろん、その他の不正の行為と認められる方法を用いるものであることの認識もなかったのであるから右の構成要件事実についての犯意はなく、また、第一審判決の判示する共犯者とのこの点についての共謀もなかったのである。それで、原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認ないし法令違反がある。

その理由は、つぎのとおりである。

一 被告人の「偽りその他不正の行為」についての認識について

1 被告人には、第一審判決認定のような架空債務の計上という「偽りその他不正の行為」についての認識及び共犯者との共謀がなかったことは、原判決の全文に徴し、原判決もこれを認めているものと解されるので、とくに論じない。

2 被告人には、右以外の不正の行為についての認識もなかったことについて

この点については、つぎに述べるところにより認められる。

(一) 被告人が、大西の勧誘を受けて同人に本件申告手続を依頼した時点における被告人の認識について

大西は、被告人に対して相続税の申告を任せるよう持ちかけたとき、「偉い先生を紹介する。」と言っただけで、その偉い先生が何者であるかについては、具体的には何も話しておらず、被告人は、大西が偉い先生とぼかした形で言っていたので、詳しくは聞かず、被告人なりに、税務署当局と交渉力のある人、例えば、税理士を含む国税局出身者、政治家などであると理解していたのである。右の事実は、大西の第一審第二回公判廷における証言(例えば一四九〇丁表裏)と被告人の第一審第九回公判廷における供述(例えば一七四四丁裏)によって認められる。そして、被告人が大西に申告手続を依頼したときには、被告人としては、偉い先生が税務当局と事前に折衝し、遺産総額を藤本昇(以下藤本という。)作成の申告書どおりに認めてもらい、事後の調査もなくなることのみを期待したのであり、税額を低くしてもらうことまでは考えていなかった。右の事実は、被告人の原審公判廷における供述(例えば一七四六丁表、一七四八丁裏)により認められ、右の点について原判決は何ら触れていないことから、これを認めているものと解される。

(二) 被告人が大西から税額決定の通知を受けた時点における被告人の認識について

(1) 被告人は、大西から税額が三億五、〇〇〇万円で話がついた旨通知を受けた際、右三億五、〇〇〇万円は全額税金であると思っていたことについては、原判決の全文に徴し、原判決もこれを認めているものと解されるから、とくに論じない。

(2) 税額が藤本税理士作成の申告書の税額より低くなった理由について

右の結果については、被告人としては、多少の意外感はあったけれども、偉い先生が税務署と折衝してくれた結果であると考えただけであり、その方法については、相続財産の評価を低くしてくれたのかと漠然と想像したのであって、不正な行為を用いるとは全く考えていなかった。

被告人は、捜査段階、公判を通じて、ほぼ一貫して右主張に沿う供述をしており、第一審第八、一〇回各公判廷において、「大西が、右のような有利な取扱いは、偉い先生がいるからできるのであることを自信たっぷりに強調し、その方法については何も触れなかったのであり、大西は、利一の時代から二〇年もの間、司法書士として、利一、続いて被告人の経営するマツイカガク株式会社及び松井家の仕事を間違いなく処理して来たものであって、地方の名士の団体である伏見ロータリークラブで被告人と同じメンバーでもあることから、被告人としては大西に全幅の信頼を置いていたし、しかも、財産の評価というものは幅があることを感じており、藤本作成の申告書の税額約五億円と本件における税額と被告人が認識していた三億五、〇〇〇万円との差をそれほど大きくは感じなかったことや、税申告について政治家、税務関係のO・B、有力税理士等の力による有利な取扱いがあるという噂を聞いていたこともあって、素直に大西の言を信じてしまった。」旨述べている。

そして、原審公判廷における被告人の供述や藤本証人の証言等によって、不動産の価額の評価が甚だ主観的、相対的、流動的なものであって、被告人が藤本と出来うる限り低く土地の評価をしたものであるとか、藤本のした評価額に基き計算した税額が正当なものであるとかは、到底言うことができないこと、また、被告人が土地の評価が低く認められたために税額が安くなったと想像したことも、決して不自然でないことが明らかになった。

また、マサの相続分を減らして、その分を他の相続人に分配したために生ずる税額の増加についても、被告人はその場合の税額については全く考えるところがなかったのが事実である。被告人は、第一審第一〇回公判廷において、「大西の話により、税額が三億五、〇〇〇万円に決ったということを思い込み、相続分の配分の変更の話が税額と切り離されたような感じになり、配分が変ったからといって税額が変更になるという懸念は持たなかった。」旨供述しており(一七六三丁表以下)、被告人が、前記のように、相続分を変更する配分表を作成した際にも、税額計算を全く試みなかった(このことは、そのような計算書が、被告人宅からも大西事務所からも押収されなかったことからも明らかである。)という右供述の信用性を裏付ける事実がある。

ところで、被告人の検察官に対する供述調書中に、「本件申告が正当でない方法により行なわれたもので、脱税になることは分かった。」旨の供述記載があるが(検二七号、一二二一丁裏以下)、これは、被告人の第一審第一〇回公判廷における供述のとおり(一七九一丁表以下)、被告人の取調べ当時における認識を述べたものを、事件当時の認識として記載されたものに過ぎず、当時、被告人がすべて理屈どおりに考えることができたとの前提に立って、検察官が作文したものというべきであって、到底信用することができない。

(三) 以上述べたところに基づき、被告人に不正の行為という本件構成要件についての認識があったといえるかどうかについて考えると、

(1) そもそも、逋脱犯にいう「偽りその他不正の行為」とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能若しくは著しく困難ならしめるようななんらかの工作をいうものと解されているが、その具体的内容は、必ずしも明らかではない。

ところで、相続財産の評価額も申告内容であるが、不動産の評価は、一応路線価等の内部的評価基準はあるものの、地形や周囲の環境等の諸種の条件によって大きく変動するものであり、主観的、相対的であることを免れず、かつ、申告評価額については、税務当局によって指導、更正がなされ、ひっきょう税務当局が相当と認める額で決定されるものであるから、相続財産の全部を申告している以上、不当に低い評価額で申告していても、それは、税の賦課徴収を不能若しくは著しく困難ならしめるような工作とはなりえないから、「偽りその他不正の行為」にあたるものではないといべきである。

本件においては、前記のように、被告人には、相続財産の隠匿の意思は全くなく、また、結果的に架空債務を計上した申告書が提出されたものの、その意思や認識はなく、ただ、偉い先生が税務当局と折衝してくれた結果、相続財産の評価が低くなったのではないかと漠然と想像したに過ぎないのであって、被告人が認識した内容は、右の法理に照らすと、「偽りその他不正の行為」には該らないことが明らかである。

(2) 仮に、右の主張が容れられないとしても、被告人の「不正の行為」の認識は、右のように、確定的でなく、明確でないから、「不正の行為」の認識があったとはいえない。けだし、事実を隠蔽し、または仮装して、正当な税額より少ない申告をした場合には、行政上の措置として重加算税が課せられるが、それ以外に同じような構成要件のもとで刑事犯である逋脱犯を設けたのは、その行為の反社会性、反道徳性が特に著しいものを自然犯的なものとして処罰しようとするものであり、この趣旨から考えると、逋脱犯の違法性を示す中心的な構成要件である「不正の行為」についての認識は、確定的で、明確であることを要すると解せざるを得ないからである。

二 「偽りその他不正の行為」についての被告人と共犯者らとの共謀について

本件において、被告人が、大西ら共犯者と本件申告にあたり、「偽りその他不正の行為」を行うこと、また、その内容について話し合ったという証拠は、全くない。被告人は、大西以外の共犯者は全く知らないのであり、大西と話したのも、偉い先生に頼むことについてだけである。偉い先生が税務当局と交渉することは、いわゆる陳情であって、それ自体不正の行為に該るものでないことは言うまでもない。したがって、被告人が、税額が藤本作成の申告書の税額より低くなったのはある行為があったからであると認識し、しかも、その認識した行為が「偽りその他不正の行為」にあたる内容のものであったときはじめて、その内容が本件で用いられた架空債務の計上と異る場合でも、この点についての共謀があったといいうるかも知れないというにすぎない。ところが、前に述べたように、被告人が想像したのは、偉い先生の交渉によって不動産の評価が低くなったからであるというにすぎないのであり、それが「偽りその他不正の行為」に該らないことは明らかであるから、その点の共謀を認定するに由ないというべきである。

2(一) 原判決は、この点につき、つぎのように判示して、本件構成要件上の脱税の犯意があり、かつ、共謀した事実を認めるに十分であると判断している。すなわち、

<1> 「確かに被告人は、大西ほかの共犯者らから原判示のような「架空債務の計上」等の不正な方法を用いて脱税することの具体的内容までは教えられておらず、また、大西がいう三億五、〇〇〇万円の金額がほぼ申告納税額になるものと誤信した可能性も強いが、そうだとしても、同時にマサの相続分の変更(これは大西において架空債務の計上の方法でできるだけ申告納税額を減縮するのに配偶者の相続割合が過大になる不合理を避けるための方便であったものと推認するにかたくない。)まで示唆されてこれを応諾した被告人としては、大西が代行しようという本件相続税の申告は、決してまっとうなものでなく、具体的な手段方法までは知らなくとも、それが少なくとも相続税法上許されない何らかの不正な方法、つまり「偽りその他の不正の行為」によって極めて多額な相続税を免れようとするものであることを認識したうえ、大西の申し出どおり遺産の際分割にも応ずることにして同人に本件相続税の申告手続を依頼したものと認めるに十分である。」と判示し、

<2> ついで、「本件の場合、その減税額は、被告人が認識した申告納税額を三億五、〇〇〇万円としてでさえ、藤本案によるそれと比べて実質的一億五、〇〇〇万円も低い金額であり、これが大西が示唆したとおりマサの相続分約六億円を他の相続人らに振り分けたとすれば、税率を五〇パーセントとしても計算上の正規税額は約三億円も増えることとなり、これを合算した減税額に見合う相続財産の評価減となれば、細かい税額計算をするまでもなく決して一〇億円を下廻らない数学になることは明らかで(極めて単純には遺産総額と税額との割合で概算することで足り、被告人にその認識がなかったとは常識上考えられない。)このような巨額な減税が改めて本件相続財産の評価の仕方を変えるだけのことでできる道理はなく、また、被告人がそのような理由をもって途方もない金額の減税が正当にできると考えたということも信じ難いところである」と判示し、

<3> さらに、「そこで、被告人の犯意及び共謀の点について案ずるに、本件のごとき相続税ほ脱犯における犯意としては、税を免れるための手段として「偽りその他不正の行為」がなされることと、その結果、本来納付されるべき正当な納税額より過少の納税申告を行なって税を免れることの認識が必要とされるが、本件の場合、前記認定のとおり、被告人としては実際に本件相続税申告手続を実行する大西の側でどのような具体的な方法を用いるかまでは承知していなかったにしても、少なくとも同人らの手で、それが相続税法上許されない何らかの不正な方法により、相続財産額及び税額について真実を遙かに下廻る内容虚偽の申告を行なって数億円に及ぶ脱税を図ることは優に認識していたと認められるのであるから、犯意において欠けるところはなく、そのうえで大西に対し、右の内容による相続税申告手続を依頼し、大西は更に笠原、黒宮と通謀して原判示の「架空債務の計上」の方法による内容虚偽の申告書を所轄税務署に提出して原判示のとおり脱税を行なったものであって、被告人が右大西ほか二名の者と構成要件上の犯意としての認識を共通にして順次共謀したことは明白であり、被告人が実行行為の中核となる本件相続税申告を委ねた大西らにおいて現実に行なう具体的な不正行為を知悉しなかったとしても、それは被告人が予測した不正行為の範ちゅうからはずれるものとはみられず、共謀の成否に影響するところはない。」と判示する。

(二) そこで、考えるに、右判示は、つぎに述べるように、いずれもこの点に関する被告人の犯意及び共謀の事実を認めるに十分ではない。すなわち、

(1) 被告人が、大西からマサの相続分の変更を示唆されてこれを応諾した際、右変更によって税額が増加することを認識したかどうかについては、右<1>の判示においては、「マサの相続分の変更まで示唆されてこれを応諾した被告人としては」と判示しているのみであって、原判決の判断は明らかでなく(なお、大西が相続分の変更を示唆した意図に関する( )内の判示は、その意味が全く不可解であり、配偶者の相続割合を少なくすると、同じ納税額を減縮するためより多額の架空債務を計上しなければならなくなって、このほうが大西にとって不都合が多くなるのではないかと思われる。また、この判示が後の被告人の「不正の行為」の認識についての判断にどのような意味を持つのか、理解できない。)、右の原判示が、その後の被告人の「不正の行為」の認識の判断にどのような意味を持つのかも明らかではない。ところが、右<2>の判示においては、税額が増加することを認識していたことを前提にして論を進めているようであるから、右相続分の変更によって税額が増加することを認識していたことを認めているのであろう。そして、それによって被告人の不正の行為の認識が推論されるというのであろう。しかし、控訴趣意書でも強く争っているのに、右認定の理由をとくに判示していない。

被告人が相続税の算出方法につき知識があることから、理屈だけからすれば、右のように判断することも一理はあるであろう。しかし、前述のように、被告人が税額の増加については全く思い及ばなかったのは事実であり、この点については、原審で主張したように、つぎのように言うほかはない。すなわち、人間必ずしも常に理屈どおりに行動するものでないことは、経験の示すところである。被告人は、多額の納税を迫られる立場にあり、しかも、当時、海外旅行から帰国したばかりであって、いわゆる時差ボケが回復していなかったうえ、申告期限も徒過していることに焦りを覚えていたなかで、急いで配分案のやり直しをしたため、冷静さを欠き、大西の言を十分吟味することもなかったのである。また、人が専門家に物事を依頼するときは、その人が自分でその仕事を行なう場合と全く違った心境になって、その依頼した物事を全面的に任せてその結果のみについて関心を持ち、頼まれた人の行なうことの内容については余り深くは考えないのが通常である。そして、その頼まれた人が自分の信頼する人である場合、頼む仕事がきわめて専門的で、自分の知識や経験から遠い場合には、特にそうである。また、その結果が自分に有利であれば、尚更であり、このことは、頼む人が知識や教養の高い人であるときも、その例外ではない。被告人は、税知識があるとはいえ、税務署との折衝や税務署内部の仕事の実状については全くの素人であり、大西に対する信頼は、前記のとおり厚かったのであるから、このような状況にあったといえる。右の事情を併せ考えると、本件の場合、被告人が理屈どおりの健全な判断ができなかったとしても、それほど不自然とはいえず、被告人の理屈に合わない思考は、人間の思い込みの恐ろしさとしか言いようがない、と。原審は、このようなことは絶対にありえないというのであろうか。原審において取り調べられた昭和六三年二月五日付京都新聞の記事の抜粋(写)記載の相沢代議士の株式売買益の申告洩れの事例などをどう解するのであろうか。被告人が、右<2>の判示のように、相続分の変更により藤本案の税額よりさらに三億円も高い税額になることを認識しながら、なお大西に申告手続を依頼したという判断は、被告人の性格、従来の生活態度、社会的地位等を考慮すれば、あまりにも酷ではないだろうか。(なお、原審における右の主張に対する原判決の判断は、被告人が相続分の変更により税額が増加することを認識していたことを前提にしたものであって、右主張に正当に答えたものではない。)

(2) 右<1>の判示の「偽りその他不正の行為」の解釈は誤りである。右判示は、相続税法上許されない何らかの不正な方法は、「偽りその他不正の行為」であるという。右の「相続税法上許されない」の意味が不明であるけれども、前述のように、前記の<1>判例にいう「偽りその他不正の行為」よりは広い範囲の行為をいうものであると解され、右判例に反して誤っている。被告人の認識した「偽りその他不正の行為」の内容を確定せずに、右のような誤った解釈の下に被告人に右構成要件についての認識があったとするのは誤りであるといわなければならない。

(3) 右<2>の判示は、被告人が相続分の変更によって税額が増加することを認識していたことを前提にした判断であって、被告人が偉い先生が税務署と折衝してくれた結果、相続財産の評価を低くしてくれたのかと漠然と想像したことが不自然ではないという主張に対する正当な反論にはなっていない。

また、資産の評価減だけでは本件のような税の減額が不可能であるとしても、それは、被告人の偉い先生の交渉の内容についての認識に誤りがあったというだけで、このことから短絡的に被告人に「偽りその他不正の行為」の認識があったと推認することはできず、さらに、被告人が、資産の評価減だけでは本件のような税の減額が不可能であることを認識していたと仮定しても、それがただちに、被告人が「偽りその他不正の行為」の認識を持っていたということにはならないことももちろんである。

(4) 右<3>の判示も、右<1>の判示と同様、右(2)において述べたような「偽りその他不正の行為」についての誤った解釈の下に被告人の犯意及び共謀について判断されており、不当である。

第三 原判決は、被告人の税逋脱犯の成立を認めた第一審判決を肯認したものであるが、仮に、被告人に「偽りその他不正の行為」の認識が認められるにしても、被告人の本件行為は、可罰的違法性がないものとして、犯罪が成立しないものと解するのが相当である。それで、原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認ないし法令違反がある。

その理由は、つぎのとおりである。

本件の流れをみると、被告人は、偉い先生に頼んで税務署と交渉してもらうという法律的に許された行為を行なったところ(一般に税実務では、納税に際し陳情を税務出身の高官に依頼することも少なくなく、右は量刑の事情であって、犯意認定の問題ではない。同旨の判決例として、東京地裁昭和五五・三・一〇判決、判例時報九六六巻一三頁)、大西が被告人の認識しない不正の行為を行ない、その結果として逋脱の結果が生じたのであって、大西の詐欺行為の介在により被告人の行為と結果との間には因果関係がなかったともいえるものであり、「偽りその他不正の行為」の認識は、前述のとおり確定的で、明確ではないから、前述のように、逋脱犯が、その行為の反社会性、反道徳性が特に著しいものを自然犯的なものとして処罰しようとするものであることに照らせば、被告人の本件行為は、可罰的違法性がないものとして、犯罪が成立しないものと解するのが相当である。

第四 原判決は、本件の納付すべき税額と申告納税額との差額六億五、五三九万五、三〇〇円の全額について、被告人に逋脱の犯意及び原判示の共犯者との逋脱の共謀があったとして、これを逋脱額であると認定した第一審判決の事実認定を肯認したが、仮に、本件において、被告人に逋脱の犯意及び原判示の共犯者との逋脱の共謀があったとしても、右犯意及び共謀は、原判示の右逋脱額のうち一億五、二二二万七、二〇〇円の範囲において成立するものに過ぎないから、右の額が逋脱額であると認定すべきであり、その余の五億〇、三一六万八、一〇〇円は、逋脱の犯意がなかったものとしてこれを逋脱額から除くべきものである。それで、原判決は、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認ないし法令違反がある。

その理由は、つぎのとおりである。

一1 被告人が、本件において納付すべき税額は五億〇、二二二万七、二〇〇円であって、申告納税額は三億五、〇〇〇万円であると認識していたものであることは、前述したとおりであるから、被告人としては、右三億五、〇〇〇万円と申告納税額一億五、〇一一万九、一〇〇円との差額一億九、九八八万〇、九〇〇円は、申告税額に含まれると認識し、また、被告人が納付すべきであると認識していた右五億〇、二二二万七、二〇〇円と正規の税額八億〇、五五一万四、四〇〇円との差額三億〇、三二八万七、二〇〇円については、納税義務があることを認識していなかったこととなる。それで、右各金額のいずれについても、本件の構成要件である納税義務の存在についての認識がないから、逋脱の犯意がなかったものというべきであり、右各金額は、逋脱額から除くべきものである。

ところで、逋脱犯の犯意の成立につき、いわゆる概括的認識説と個別的認識説との対立があり、前説は、免れた税額の一部につき脱税するとの認識があれば、納付すべき税額と申告納税額との差額全額につき逋脱犯が成立するというものであり、後説は、免れた税額のうち犯意の認められない部分については、これを逋脱額から除くべきであるというものである。前説は、逋脱犯を国家の課徴税権の侵害に対する損害賠償を本質とするものであるとする考え方に基づくものと解されるが、逋脱犯の自然犯化が定着した現在、免れた税額のうち犯意の認められない部分については、これを逋脱額から除く後説を採るのが相当である。そして、近時の裁判例も、右の個別的認識説に従う趨勢にあると思われる(例えば、昭和五四年三月一九日東京高等裁判所判決、高裁刑集三二巻一号四四頁・昭和五三年五月二九日東京地方裁判所判決、判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕三八三号一五九頁・昭和五七年三月二日大阪地方裁判所判決、税務訴訟資料一四二号一八〇二頁・昭和五七年一二月一六日大阪高等裁判所判決、判例時報一〇九四号一五〇頁)。

もっとも、犯意の成立には、具体的な脱税額までを認識する必要はないとも思われるが、そうであるとしても、免れた全税額について全体として脱税の認識が認められることは必要であって、脱税額の一部について逋脱の犯意があれば、逋脱の犯意がない税額についてまで逋脱額に含めることができるとすることは正当でない(前記の東京高等裁判所の判決参照)。

そして、概括的認識説によると、逋脱犯は一罪であり、逋脱税額について被告人に錯誤があっても、同一の構成要件に属する具体的事実の錯誤に過ぎないから、被告人の認識しなかった逋脱額について故意を阻却しない旨を主張するけれども、逋脱犯は、包括一罪で、逋脱の犯意のある部分とない部分とが可分であると考えられるうえ、本件のように、逋脱の犯意がなく、被告人の認識内容としの不正の行為とは無関係に税を免れた部分については、逋脱の結果は発生せず、被告人に逋脱額についての錯誤はないというべきであるから、右のような錯誤論を適用することは、相当でない。

2 また、共同正犯としての責任の面から考えると、仮に被告人と大西ら原判示の共犯者との間において逋脱の共謀が成立していたとしても、それは、「税金は三億五、〇〇〇万円だけ支払う。」「藤本の作成した申告書の税額と三億五、〇〇〇万円との差額を逋脱する。」という合意であったといわなければならないことが、記録上認められる。

ところが、大西は、右の共同意思の実現として実行行為をなすに当り、自己並びに本件における順次共謀者の笠原及び黒宮の利を図るため、右共謀の範囲を逸脱して、ほしいままに申告税額を約一億五、〇〇〇万円に減少させて、納税資金のうち二億円を着服し、また、甘言を以って被告人を惑わせて相続分の変更をさせたため、正規に納税すべき額を増加させ、その結果、脱税額を著しく増加させたものであって、大西の右の如き行為は、もはや被告人との謀議により生じた共同意思の実現としてなされた行為とはいえず、右謀議に便乗してなされた別個の被告人に対する詐欺または横領行為というべきである。

ところで、いわゆる共謀共同正犯において、犯罪の実行行為を担当しない正犯が刑事責任を問われる理由は、各正犯が、謀議の結果犯罪の共同遂行の合意に達し、それにより犯罪の共同遂行の意思を確定させ、その意思の実現として実行担当者により実行行為がなされたこと、すなわち、犯罪が、共謀の結果生じた共同意思の実現としてなされた点にあるのであって、共同意思と無関係に実行された犯罪についてまでその責任を追求されるものではないと解するのが正当であるから、大西の右行為によって増加した脱税額について被告人に責任を追求することは許されない。

そして、共同正犯における錯誤の問題として、実行行為者以外の正犯の認識と結果とのくいちがいは、それが同一構成要件内の錯誤であるときは、共同正犯の故意を阻却しないという理論は、その結果につき犯意がその正犯にあると同様に評価すべき状況があるときにのみ妥当するものであって(この点に関する裁判例はこのような事例に限られているように思われる。)、本件のように、実行行為者がその他の正犯との共同意思と無関係に実行し、右正犯が全く予期しない結果を生ぜしめた場合についてまで拡張して適用することは、犯意が刑事責任の基礎であるという責任論の原則を無視するものであって、不当である。

3 以上述べたところによって明らかなように、被告人が、藤本と計算した約五億円の税額と大西のいう三億五、〇〇〇万円の差額約一億五、〇〇〇万円(松井マサの相続分の変更によって増加した税額分について認識していたことは、前記のように認められない。)については脱税することを認識し、共犯者とこれを共謀していたとしても、共犯者らが共謀の範囲を逸脱して行なった脱税の結果についてまで、原判示のように、被告人の犯意を認め、共同正犯としての責任を認めるのは不当である。

二1 原判決は、この点について、つぎのように判断する。すなわち、

(一) 被告人が認識していた逋脱額は、マサの相続分を変更したことによって増加する税額約三億円が含まれる。

(二) 本件は、被相続人に巨額の架空債務があるとしたうえこれらを相続人ら(マサを除く)それぞれが右債務を分割して承継した旨虚偽過少の申告をして逋脱の結果を実現したものであって、被告人は自己納税分にとどまらず他の相続人の分についてもこれを代理して同時に申告手続に及んだものであるから、このような不正行為によって実現したその結果について被告人が予測した範囲を限定分割して各別に犯罪の成否を論ずることはできない。

(三)<1> 本件のような共犯事件の場合、各共犯者間に実行行為の内容やその結果についての具体的な認識について多少の食い違いがあろうとも、構成要件上の犯意としては別異のものと評価されない限り、その全員が現実に実現された犯罪全部の刑責を負うべきは当然である。

<2> 本件において被告人が認識していた逋脱額と現実の逋脱額との間に約二億円の食い違いはあるものの、これは単に共犯者である大西が大西が本件相続税の申告に乗じて自分独自で相当の利を図ろうとすることなどの思惑から被告人に対してはその脱税の方法や規模などを具体的には打ち明けなかったという事情によるものである。

<3> 犯意の存在及び共謀の成立が認められる以上、それは構成要件上の犯意が異質各別のものとみることはできない。

(四) もともと本件のように架空債務の計上という不正行為を内容とする相続税の申告手続を行なうことで実現した逋脱犯罪につきその認識した逋脱の限度でのみ刑責を問うべきだとするいわれはない。

(五) 個別的認識説に関する前記の判例等は、いずれも不正行為と関係のない誤記、誤算などによる過少申告部分を逋脱額から控除したに過ぎないもので、本件のようにその逋脱額はすべて不正行為と因果関係がある結果である場合とは例を異にし、弁護人の前記主張を裏付けるに足らない。

2 そこで考えるのに、右原判示は、つぎに述べるとおり、いずれも弁護人の前記の主張を覆すに足りない。

(一) 右二の1の一については、前述したとおり不当である。

(二) 右二の1の二については、その趣旨が全く理解できない。

(三)<1> 右二の1の三の<1>については、弁護人は、原判示が当然というその理自体を問題にしているのであるが、当然である理由について何の説明もないから、承服できない。

<2> 右二の1の三の<2>については、その趣旨も理解できない。この約二億円についても大西に税逋脱の意思があったという点で、被告人が認識していたとされる逋脱分と同質であるということであるから、右二の1の三の<3>のような結論になるということであろうか。しかし、右判示のような事情こそが被告人の共同正犯としての故意阻却の事由になるのではなかろうか。

(四) 右二の1の四については、何故原判示のような判断になるのかは、全く理解できない。

(五) 弁護人は、被告人の認識内容としての不正の行為と無関係に税を免れた部分について、誤記、誤算の場合と同一視すべきであると言っているのであるから、右判示は、その答になっていない。

以上

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